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1934年東京白金生まれ。ハワイ語で唄った「カイマナ・ヒラ」を大ヒットさせ、ハワイアンミュージックの人気を日本に定着させたパイオニア的な女性シンガー。長姉の嶋岡美穗子がリーダーとして結成した姉妹のバンド「クイーンシスターズ」に参加し、ウクレレとヴォーカルを担当。高校生であった1953年には新東宝映画「ハワイの夜」で女優岸恵子の歌の吹き替えを担当した。21歳でソロになり、1958年当時日本を代表するハワイアンバンドであったポス宮崎とコニー・アイランダース、大塚竜男とパーム・セレナーダス、大橋節夫とハニー・アイランダースとともに日本初のハワイアンアルバム「ハワイアン・オールスターズ」を制作。その翌日、ハワイアンのネイティブな唄とフラダンスを学ぶためハワイとLAに渡り、6ヶ月滞在した。その間日本ではこのアルバムに収録された「カイマナ・ヒラ」が大ヒット。また、この曲がハワイにも逆輸入されヒットし、今やハワイアンミュージックのスタンダードナンバーとなっている。ハワイ滞在中の1958年5月3日にはウェブリー・エドワーズが主宰し世界中にネットされていたラジオ番組「ハワイコールズ」に日本人として初出演し、大絶賛を博した。これによりエセルの名前はハワイでも知れ渡るようになり、その際に録音したものが「エセル、ハワイで唄う」 ハワイコールズ名義で逆輸入盤として日本でも発売された。その後も日本を代表するハワイアンシンガーとしての活躍を続けており、制作されたアルバムは30枚を超えている。1993年にはハワイアンミュージックの普及への貢献により、ハワイ州知事から表彰を受けた。現在はハワイアンミュージックの普及とフラ、訳詞及び作詞に更なる情熱をかけ、日本訳詞家協会にて理事として活躍中。
by aloha-holic
| 2005-07-21 10:45
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