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ウェブリー・エドワーズとハワイコールズ・ショーは戦後進駐軍放送(現在のAFN)で土曜日の夜放送されていました。エセルはラジオの前で姉妹と一緒に夢中になって毎週聞いていたそうです。 その後1958年1月末「カイマナ・ヒラ」などのレコーディングを終えた翌日、エセルはLAとハワイへ唄とフラダンスの勉強のため渡米しました。所属のレコード会社「東芝EMI」のキャピトルレコード担当者がウェブリー・エドワーズに「ハワイアンを唄う日本人の女の子」がハワイにしばらく行くという連絡をしてくれていたため、ハワイに着いてしばらくすると、その当時寝泊りをしていた寮にウェブリーから電話があり、オフィスに会いに行くことになりました。ウェブリーはエセルの歌を聞いたことはありませんでしたが、「ハワイアンを上手に歌う日本人」に興味があったのでその娘に会うことにしたようです。オフィスに行くとウェブリーは彼の朝の番組に出てみないかとエセルを誘います。それは今やウクレレメーカーの最高峰と言われる「カマカ」とのタイアップ番組で、ウェブリーがモアナホテル(現在のモアナサーフライダー)のラナイで朝食をとっている人何人かに声を掛け、ウクレレを渡し上手に弾けたら、その弾いているウクレレをそのままその人にプレゼントするというものでした。エセルはその素晴らしいオファーを承諾し、後日その朝の番組にてウクレレを弾くと同時に歌ってみせ、見事そのウクレレを手に入れました。 ←これがその時頂いたウクレレです。→ ウェブリーの狙い通り、朝のショーでのエセルの出演が話題となり、その結果エセルは憧れのハワイコールズ・ショーに出演することになりました。今でも彼女の自宅には番組に出演する機会をくれたウクレレを大事に持っており、自宅のリビングに飾っています。エセルは「ウクレレにウェブリーのサインを頂けば良かった」と今でも後悔しています(笑)。
by aloha-holic
| 2006-03-09 16:34
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